カウラ日本庭園 |
★オーストラリアで一度は訪ねたい地、シドニー西方350キロ内陸の人口1万人の小さな都市「カウラ」。1944年8月5日(南半球のオーストラリアでは真冬)、カウラにあった捕虜収容所から1104名の日本人捕虜が自決覚悟で集団脱走を企て、234名の尊い命が奪われました。日本の歴史教科書や戦史にも登場しない「カウラ事件」。
毎年、桜が満開になる10月にカウラ市が桜まつり〈日本庭園を中心に華道、茶道の実演や日本文化の紹介を行う〉を企画し同時に<戦没者慰霊祭>を開催します。 来豪後、私もその慰霊祭に参加させて頂いた事があります。
★ このカウラは「日本」と「オーストラリア」の関係を語る上で忘れることができない場所です。太平洋戦争で捕虜となった日本人やドイツ人、イタリア人が収容されていました。戦争が長引くにつれ捕虜の数も次第に増え、一部を他の収容所へ移送することが決まり、それを聞いた日本人捕虜の間で脱走の話が進み、1944年8月5日真冬の午前2時、ラッパの合図で集団脱走を試みたのです。
捕虜である彼らには当然武器らしい武器はなく、食事用に供給されたナイフやフォークを持って監視兵の機関銃座や守備兵の兵舎へと押し寄せていったそうです。この捕虜収容所跡から南西に数q行ったところには、この脱走事件で亡くなった方の<日本人墓地>があります。
<日本人捕虜大脱走事件>の様子はハリーゴードン著「生きて虜囚の辱めを受けず」、と中野不二男著「カウラの突撃ラッパ」等の本にも詳しく掲載されています。石田純一が主演のオーストラリア映画<カウラ大脱走>はTVで放映され、記憶にある方もいらっしゃると思います。
カウラ捕虜収容所跡地 |
★捕虜収容所のあった場所は、広々とした草原のみで、今では何も残っておらず、看板がなければ、かつてここに捕虜収容所があったとは分かりません。この第二次世界大戦中の「カウラ事件」をきっかけに今でも日本との関係の深い場所の1つです。
市内には南半球最大の回遊式日本庭園も造られ、その、日本庭園と捕虜収容所跡を結ぶ通りに「SAKURA AV.」と命名された道路の脇に、日本とオーストラリアからの寄付金で桜の植樹がされています。
★ 今年8月5日はカウラ事件から60年。「カウラ・ブレークアウト60周年記念式典」が開催されます。姉妹都市や日豪友好団体、豪州カウラ会、シドニー日本人会、シドニー日本クラブ、シドニー日本商工会議所の人達がたくさん参加され、その前後1週間にわたり様々なイベントが企画されます。
(2004年7月31日)
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