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 建築家

2003年10月 取材

池田政明さん(シドニー在住31年)

 


★オペラハウスが完成(1973年)直前の1972年2月22日オーストラリアに永住してきたとおっしゃる池田政明さん。早稲田大学理工学部建築学科の4年生の時、卒論で忙しい時期にたまたまシドニーから来られた大手設計事務所の所長と帝国ホテルで「就職インタビュー」があり、オーストラリアの設計事務所にあっさり仕事が決まったそうです。

★当時日本ではまだオーストラリアがあまり知られていなかったので先輩方に適切なアドバイスをして頂いたとか。たとえば1970年頃シドニー大学で教壇をとられたこともある早稲田大学建築学部の学部長,吉坂隆正先生、又、南極観測の越冬基地のプレハブ建物を設計された東大の浅田隆先生等の話を聞かれ、少しはオーストラリアの状況がわかったとの事です。

★ 大学卒業と同時に、言葉も文化もまったく違う国で建築設計をしょうというのですから、ご両親も大変心配されたことでしょうね。でも池田さんは人生一度きり、自分のやりたい事をやり遂げる面白さにチャレンジされました。マルチカルチャーの国オーストラリアは、考え方や発想の仕方が違い、その違いを違いとして理解し、設計の時にそのような機会に触れる事もあり容認しなければいけない時が度々あったとのことです。

★ 当初のカルチャーショックは日本と比べて就労時間の大差。設計事務所の働く時間が朝9時から午後5時までの週40時間(豪州では1948年からすでに週40時間の規定があったとか)完全週5日制で、年4週間のまとめて取れる有給休暇がすでにあったとか。残業は基本的にないそうです。理由としては「労働効率が落ちる」ということらしいです。 日本との比較はどうでしょう?オーストラリアは自分の余暇のある生活をエンジョイする国民ですから、日本のように会社にいる時間がすべてで、自分の時間がほとんどないのとは、ずい分違いますね。

★一緒に働いていた事務所の多国籍多言語国家のスタッフとの議論の中での設計経験等の積み重ねで、それが、今まさに活かされている。とおっしゃっています。シドニーでは若い建築家がある程度設計経験を積むと5〜6年で独立されるそうです。池田さんもそのような環境の中で刺激を受け、当時オーストラリアがまだバイタリティーのある発展途上国の雰囲気があったその時代の1981年、33歳という若さで事務所を開設されました。

★ 初めて住宅設計した時の<忘れられない施主の言葉>があるそうです。それはユダヤ系ハンガリー出身の施主の言葉で「日本で建築を勉強して、この国でそれを活かせるなんてMR IKEDAはとてもラッキーだ」と言われたとか。彼はハンガリーの工学大学を出たので技術者になろうと思っていたが、第2次世界大戦後、豪州に移民で来たがハンガリーで勉強してきた事では「仕事」が出来なかった。当時それを聞いた池田さんは、今でもかなり自分はラッキーという自覚があり「その言葉が忘れられない」、とおっしゃっています。

★ 又、昨年の暮れ東大の建築科で勉強されている学生Kさんからの「大学で安藤忠雄先生の講義等ありますが、シドニーで学んだ日本人学校の環境の良い空間を思い出し、その設計者が誰なのか調べたらわかりましたのでお便りさせて頂きます」とのMAILが届き、このようにご自分が設計した建物を利用された方からの思いがけない感想やコメントがあると非常に嬉しいとの事です。

★ 最後に建築家・池田政明さんから日本の若い方への熱いメッセージをいただきました。 ‘55歳からでなく25歳からの永住’の薦め!です。日本は1990年代の10年間は0%成長、豪州は1980年代からもゆっくりしたペースで相変わらず3%前後の成長で順調に発展して来ています。日本に比べて住宅環境や生活にゆとりがある豪州は、移民のバイタリティー活力があり、これからも成長していく国です。若い方には‘55歳のリタイアしてからの豪州移民ではなく、25歳からの永住’で、どんどん日本の技術を持ってオーストラリアにきて活躍して欲しい、とのコメントでした。

アーバンスコープ建築設計事務所のホームページは www.urbanscope.com.au

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