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日豪文化交流の立役者

2003年6月 取材

戸倉勝禮
(とくら・かつのり)さん

 


現在「日豪文化交流協会」理事長を務める戸倉さんは、シドニー在住20年以上にわたり、日本とオーストラリアの高校生による国際交流事業に尽力しておられます。たとえば、埼玉県少年サッカーチーム80名をオーストラリアに招いたり、逆にオーストラリアの青少年を日本に派遣したり。サッカーだけではありません。水泳、マーチングバンド、語学研修、ボーイ/ガールスカウトを始め、各種の交流事業を推進されてきたとのこと。

さらに戸倉さんは、日本・オーストラリア間で姉妹都市提携を斡旋し、その数、なんと12都市!!オーストラリア姉妹都市協会や各姉妹都市などから各種感謝状多数を授与されているのも、納得!です。特に力を入ている姉妹都市の青少年を日本に派遣する「グリーンリーブス使節団」は昨年度までに13年間継続、その間になんと1500人以上のオーストラリアの高校生、引率者が日本へ派遣されました。まさに戸倉さんは「日豪文化交流の立役者」なのです。しかもプロポリスやロイヤルゼリーを日本に輸出する「トクラ商事オーストラリア株式会社の社長でもあります。

戸倉さんは1939年2月7日、旧満州国にて誕生され、7歳で山口県にひきあげるまでに、お父様の転勤で旧満州国内を転々とし、北朝鮮で1年間の疎開生活を強いられたことも。大学卒業後は食品メーカーに勤務なさっていましたが、その後香港に移転され、英国系宣伝会社に3年間勤務。香港、バンコック、シンガポールを定期的に巡回営業する日々だったとか。73年、香港でカナダヒスイ加工工場を設立後、4年間、バンクーバーに現地法人社長として駐在。その間、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、アフリカ、東南アジア諸国等各地で営業活動、毎年最低5回、4ケ月間以上の海外出張に従事されたとか。

そんな風に世界を駆け巡っていらした戸倉さんがシドニーにいらしたのは、1979年のことでした。お子様の教育のために、と決意しての移転で、ご自分もNSW大学夜間学部にて二年間「輸出政策論」を学ばれ、「ディプロマ」学位と「M.A.I.Ex」(学会員証書)を授与されました。卒業後は、豪州企業、英国系免税店上席副社長等を歴任。その間、88年より日豪親善促進のため、「日豪文化交流基金(後に「日豪文化交流協会」に名称変更)」を主宰され、 各種交流に尽力されました。

ところで皆さん、カウラ市の<桜祭り>をご存知でしょうか?シドニーの南西にあるカウラ市は、日本人に非常に深い関わりのあるところ。第二次世界大戦中に戦争捕虜収容所が存在し、終戦後は戦没者墓地が建設されて544名もの日本人兵が埋葬された地なのです。現在では、素晴らしい日本庭園や日本文化センターなども設置されており、日本人との交流が積極的に行われている場所だと言えます。

ここで毎年10月に開催されるのが、戦没者の冥福を祈る「慰霊祭」と「桜祭り」。この桜並木を建設すること、および桜祭りの開催を提案されたのが、他でもない、戸倉さんなのです。この時期は地元の方だけでなく大勢の観光客がカウラに集まり、満開の桜の下、平和を祈り、さまざまなイベントを通して日豪の交流を深めます。私も2年前に参加させていただきましたが、約2000本の美しい桜並木にはただただ圧倒されました。

今も市会議員研修会、教育機関、視察団等から日英両国語にての講演やインタビューを依頼されることも多く、たいへん忙しい日々を送っておられる戸倉さん。このインタビュー数日後には、商用で日本に向けて飛び発たれました。さらに今年9月のスケジュールもすでに決まっており、イギリスの大学院に留学中のお嬢さんを訪問したり、エーゲ海をクルージングなさる予定だとか。彼のフットワークにはただただ脱帽!するばかりです。

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