リタイア後の55歳からあこがれの「海外ひとり暮らし」を強い意志と実行力で実現した永田朝子のホームページ
 
 
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■10月2日(木)
Lラバウル(Rabaul)終着の2番目の寄港地

ラバウルは東ニューブリテン州の州都。かつては「南太平洋の宝石」とよばれ、世界中の旅行客で賑わったラバウル。1942年には旧日本軍が占領し、ニューギニア本島への戦略拠点となり、3万人を超える日本兵が滞在したと云われます。日本人の皆さんにはパプアニューギニアの国名よりも「ラバウル」の地名のほうが記憶にありますね。

朝、目覚めるともうニューブリテン島のラバウル・シンプソン港だ。窓からいきなり噴煙を上げている山(ダヴルヴル山)が!!!びっくりして急いでデッキに上がってみました。


キャビンの窓から
噴火中のダヴルヴル山が!(No.119)
 

早速デッキへ駆け上がる
(噴煙を上げている山をバックに)(No.120)

ススだらけになった客船ORION(No.121)
 

灰に埋もれたラバウルの道路(No.122)

廃墟の街 ラバウル(No.123)
 
 

絶え間なく噴煙を上げている
ダヴルヴル山と温泉(No.124)

砂浜からはあぶくが立ち
硫黄の匂いが立ち込める(No.125)
 
今も絶え間なく噴煙を上げているのが「ダヴルヴル山」
近年では1937年と1994年に大噴火を起こした。94年の噴火時には火山観測所が事前に警告を発したので、死傷者は数名にとどまったとか。火山に面した海岸は硫黄臭が漂い、砂浜からあぶくが立ち温泉が湧いている。

「温泉」に手をつけると熱めのお風呂の加減でした。

日本語を話すガイドの
サミニルさんとサーモックスさん(No.126)
 
「日本人ですか?」と話しかけてきたガイドのサミニルさん。福岡で1年間農業を勉強したとか。観光で訪ねる日本人を案内しているという。

第二次世界大戦で激戦地となったパプアニューギニア。日本軍の基地があったラバウルの道沿いには日本軍が掘ったトンネルや、多くの戦跡が残っています。1994年に火山の大噴火があり、今では写真のようにラバウルは廃墟となっており、現在ではラバウルの南東約30kmのココポの町に移り住んでいます。


同行の長女と
ダヴルヴル山をバックに(No.127)
 

マルマルアン展望台からの
「煙るラバウルの町」(No.128)

マスクは必需品(No.129)
 
火山観測所のあるマルマルアン展望台からはラバウルの町とシンプソン港そして火山が一望!

かつて日本が設置したラバウル火山観測所の地震計
戦後、ここを再訪した木沢さんの写真と観測ノート。
地震計の右手に見える二つの丸い円筒は、地震計のためのエアダンパー。新田次郎の小説『火山群』は、戦時中のラバウルでの木沢さんを描いた作品だそうです。


ラバウル火山観測所の
地震計木沢氏の写真と観測ノート(No.130)
 

木沢氏の写真と観測ノート(No.131)

大発洞窟(バージ・トンネル)
ラバウルの町には至る所に旧日本軍が掘ったトンネルが数多く見られ、その全長は500kmを越す。連合軍の空爆を逃れ、兵士たちはトンネルの中での生活を強いられたそうだ。


大発洞窟(バージ・トンネル)(No.132)
 

バージ・トンネル の中(No.133)

トンネル内には、旧日本軍の通称大発(大型発動機艇)が3隻程1列に並んでいる。日本から船に積んだ食料や弾薬などを運び入れたらしい。乗客メンバーの方曰く「エンジンは日本の何処かに展示されているのでは?」と、おっしゃっていましたが。


海軍司令部跡の地下壕
(ヤマモト・バンカー)(No.134)
 

山本バンカーの中の狭い通路(No.135)
 

山本バンカー内に記載された文字(No.136)
 

バンカー横にある戦跡(No.137)

連合艦隊司令長官の山本五十六元帥がブーゲンビル島で撃墜される数日前、ここに泊まっていたという「ヤマモト・バンカー」

「やって見せ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば、人は動かじ」
この言葉はパプアニューギニアの山本五十六元帥だったのですね〜
社員教育でよく聴き、私がセールス・レディの時は上司はまさにこの通り私を指導されました。褒めていただき「水を得た魚のように愉しく仕事をしていた」といわれた当時を想いだす「山本五十六元帥の言葉」です。

最後の晩餐会♪

今日はクルージング旅行の最後の晩餐会。
2、3日前から「キャプテンと同席でお食事をしたい方はお一人様10ドル寄付され多数の場合は抽選させて頂きます」とのこと。我々は当然「キャプテンSteffen Friedrich」との食事と思い込んでいた。そして当日。。。現れたのは!!
なんと最年少14歳のかっこいい「Joshua君」でした!(^o^)/

彼はスクール・ホリデーをお祖父さんと一緒にクルージングに来ていましたが、船旅の途中、お祖父さんが倒れて救急ゾディアックで病院に運ばれました。

その後お祖父さんの病状もよく後半の旅は「一人」になっていた。
粋な計らいをするキャプテンとORIONのスタッフの皆さんに感心♪


“キャプテン登場”!
に全員喝采(^o^)/(No.138)
 

ラストナイト“キャプテン”
と同席の会食♪(No.139)

■10月3日(金)ラバウル発オーストラリアへ帰国の途につく


さようなら
パプアニューギニア!(No.140)
 
ラバウル・「TUKUA AIRPORT」よりチャーター機にてケアンズへ!
早朝5時起き、チャーター機でケアンズへ乗り継ぎ後、夜の10時に無事「別世界」の旅から13日目にシドニーの我が家に戻りました。

この度の旅は、
船客の皆さんはほとんどがシドニーからの参加で、「次の旅行は?」と話題も尽きず、来年の旅行予定もしっかり決めてらっしゃる。又歩く時には杖をついている高齢の方でも「午後の予定は?」と聞くと「シュノーケルよ!!!」と海に潜り愉しまれていたのには驚きでした。小さい時から大きな大陸で自然を親しみ、カヌー等身近に乗って慣れていらっしゃるのでしょう。今回の旅行もオーストラリア人の体力には、お茶づけとステーキの差をまたもや感じた次第。勿論体格も立派で各食事時は私の3倍は召し上がって、食後のデザートの甘いケーキにアイスクリームの量も半端じゃなかった〜!

客船"オリオン"は、探検用に注文建造された小型船で、通常の客船では入港できない港やアイランドに立ち寄ることができ、ゾディアックならばこその「パプアニューギニア」を訪問できたことは貴重な「体験」!まさにExperimental in Papua Newguineaでした♪

プライベートなメガ(巨大)ヨットタイプの「ORION」の船内は高級感にあふれ、スタッフの方々のサービスと心遣いは満点♪毎夜のディナーは最高級レストランのフル・コース♪ 時々BBQやお寿司や刺身もあり、ランチは主にデッキの青空のもと海を眺めながらのバッフェスタイル。5つ星クラスの"クルーズ・ライフ"を母子共々大いに愉しむことが出来ました!

探検クルーズ客船"オリオン"で訪問した2箇所の寄港地と11箇所訪ねた島々では、各々の伝統文化を守りながら生活をしている様子も垣間見ることが出来、又ここパプアニューギニアにおいて、教科書では教えてくれない日本軍とアメリカ&オーストラリア連合軍が激戦を交わした「戦争の悲惨な歴史」をも再認識した<探検クルーズ客船"オリオン"で行く旅>でした。

 

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