シドニーのサリーヒル、クラウン・ストリートで骨董品店を経営しているジュモケさん。
馴染みの浅いアフリカ、その中でも南西アフリカのナイジェリア、ラゴスの出身と知り、ナジェリアの項目を早速インターネットで調べてみました。
アフリカ随一の大国で、人口1億3560万人、面積日本の約2.5倍、首都アブジヤ(91年12月ラゴスより遷都),連邦共和制国、部族社会が強く残っている国で、ハウサ、フラニ、イボ、ヨルバ族等の部族社会を未だに有している国。公用語は英語、宗教はイスラム教徒47%,キリスト教徒35%他、識字率64%,主要資源、石油、天然ガス、石炭、錫、水産資源等となっています。
興味が引かれたのは、15世紀から19世紀に掛けての奴隷貿易の本拠地となり、アラブ人に狩りたてられたアフリカ内陸部の黒人たちがこのラゴスで西欧人の奴隷商人に売り渡されて南北アメリカ大陸とカリブ海諸国に送られた、となっている点。近世にはいって英国領となり1960年の独立以来、部族間の抗争と軍事クーデターの繰り返しで、国家的統一が遅れ、未だに第三国的な状況にある、との事です。
ジュモケさんは、ラゴス生まれで、幼少時から5人姉妹と一緒に宗主国、英国の寄宿学校に送られ教育を受け、大学教育はギルドホール音楽ドラマ大学を卒業後、英国の国営放送局BBCで、英国初めてのアフリカ人アナウンサーとして放送業務に携つた経験主。
ディバヨ家は、ヨルバ族の王室に繋がる貴族の出自、ジュモケさんが男子なら王様になっていた可能性もあった、との事。お父上はもちろんヨルバ族のデバヨ家の当主で貴族、アフリカ大陸で初めての黒人銀行家、ナイジェリア国立銀行の創始者で総裁を晩年まで務められた方。
家族企業として、石油精製工場、交通機関事業、各種工場等を所有されている名門の資産家とのことで、彼女の姉妹たちは、裁判官、判事、弁護士、等すべて英国で教育を受けて資格をもって母国に戻り、ナイジェリアの著名人として活躍されている、とのこと。いかにも名門貴族一家の一員としての姿を彷彿とさせる経歴書でした。
以下はインタビュー・コーナーです♪
★ ジュモケさんの経歴は、ずいぶん華やかに見えますが、アフリカ女性でこのような活躍をされている方は、他にもいるのでしょうか?
アフリカの女性が先進国社会で受け入れられる時代は、まだまだ遠いい先だと思う、しかし、私がシドニーで監督と演出をした劇場劇「ジェロ神父の裁判」の著者、ウォール・ソインカ女史は、米国のイェール大学の名誉文学博士で、黒人で初めてのノーベル文学賞を受賞した人で、現在も英国で活躍されています。これからはアフリカ女性が西欧社会でも受け入れられる時代が来るものと思います
★ ジュモケさんは、アフリカで始めての女性キャスターとお伺いしましたが?
私が初めてBBC放送でニュース記事を放送した時は、ずいぶん変な反応がありましたが、回を重ねる度に社会も受け入れてくれたようです。特にニュース解説を担当してからは評価が著しく上がってきました。その後、子供番組やコメディー番組を担当してからは、一般的な親しみが涌いてきたようでした。特に特集番組を自分で演出し、解説した時は視聴者に何か新鮮な感じを与えたようで、ずいぶん好評でした。文明基盤が異なるプロデューサーが新しい感覚で社会的な現象を特集し、解説したのが目新しく受け入れられたのでしょう。しかし、新しい社会で異族的な風体の人間が受け入れられるのには時間が掛かかるのです。
★アフリカでは、先進国で教育を受ける人が多いものなのでしょうか?
私たち姉妹は経済的に恵まれていたから、小学生の時から英国で教育を受けることが出来ましたが、大半の国ではそのように恵まれた家族はごく少ないと思います。現に私が入っていた寄宿学校には、私たち以外のアフリカ出身者はいませんでしたし、大学もごく少数のアフリカ人しかいませんでした。
★経歴書によると、演劇の監督演出のみならず俳優の役もされるそうですが・・・、
そうです。私が通ったギルドホール大学では、演出から演技まで学ばねばなりませんので、何でもこなせる訳です。ロンドンのロイヤル・コート劇場で「ライオンと宝石」という劇やシェークスピアの演劇にも出演したことがあります。その頃、映画の製作にも携わり、アラン・ブリッジ監督、リチャード・バートン、ソフィア・ローレン主演の「つかの間の出会い」等の助監督も担当しました。
★著作方面でもずいぶん活躍されているとか?
ギルドホール大学では、シナリオを書くのも課目の一つですから、物書きは慣れたものです。現に、卒業後、週刊誌の依頼で、アフリカの著名人の紹介記事の連載をしたことがありますが、大変好評でした。今でも私が監督演出するシナリオはほとんど自分自身で書き上げないと気が済まないのです。
★アフリカの民族芸術や工芸品、装飾品等の紹介のため、各国で展示会を開かれているようですが・・・、
今までに、ロンドン、カナダのトロント、ブリスベンとシドニーでアフリカ衣装、マスク、装飾品の展示会を開催して好評を得ました。ブリスベンにはエリザベス女王の代理としてフィリップ殿下もご来場下さいました。もちろん殿下とはロンドン時代から親しくさせて戴いています。
★今、プロデュースされていることは?
来年(2006年)はメルボルンで「コモンウェルス・ゲーム」が開催されます。
英国連邦諸国のスポーツ選手が4年に一度集い、英国連邦内のオリンピックみたいなものですが、その折りに、私も「ビーズ装飾品リンクの歴史」と題した展覧会を開催します。15世紀ころから20世紀初頭にかけてアフリカの諸地方で流行したビーズの装飾品を系統的、系列的に展示して民族の嗜好性の変化と推移を見せたいと思っています。
「コモンウェルス・ゲーム」の期間は2006年3月8日から一カ月の間です。
★ジュモケさんは、世界の婦人人権問題にも造詣が深いとの事ですが?
私は学生時代から原住民、特に各大陸の先住民の人権に関心があり、その中でも特に婦人の人権問題に関心がありました。テレビの特集でも幾度か取り上げていますが、彼らは新しく入ってきた新移住民に集団的に差別され、その環境の中で先住民の婦女子の人権が、移住民のみならず自分たちの仲間であるはずの先住民男子たちからも差別されている現状を意識として認識して欲しいと願ってこの運動に携わっています。そんな関係でオーストラリアのアボリジニの人権回復運動にも携わっています。この運動は、自分の生涯を賭けた仕事だとも思っています。
★最後に、ご家族は?
息子が二人います。一人はシドニーで弁護士をしており、もう一人は、証券会社の投資会社調査を担当しています。主人とは大昔に別れて、それ以来独身を続けています。
インタビューの間にも彼女のバイタリティ−溢れる民族性と活気が伝わり、生涯を賭けた仕事を持っておられるジュモケさんは輝いていらっしゃいました。
“ライフ・ワーク”♪を持つ事の大切さを勉強させて頂いた“愉しいひと時”!(^^♪でした。
ジュモケさん、長時間にわたり興味深いお話しをして戴き、大変有難うございました。
来年開催の「コモンウェルス・ゲーム」での展示会の成功をお祈りいたします。
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