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 フォト・ジャーナリスト

2003年8月 取材

金森 マユさん

 


★すでにMates〜出会い・コーナーに登場して頂いているマユさん。
彼女が17歳のとき私達は東京で会っていて、今年23年ぶりにシドニーの我が家でご対面!となったのです。彼女は1963年生まれ、お父様は劇団四季創立メンバー、舞台装置家の故金森 馨さん。2歳10ヶ月から東京港区元麻布に住み、アメリカン・スクール・イン・ジャパンの分校に通う。子供の頃からお父様の仕事上、劇場の関係者やアーチスト、詩人等と接触されていて、絵を書いたり子供ながらも短編小説を書いていたとか・・。高校の時はアメリカン・スクールの弁論部のキャプテンも努められた。

★ 来豪のきっかけは、学生時代から付き合っていたオーストラリア人のボーイフレンドを追いかけてこられたそうです。メルボルンの日本レストラン等でウェイトレスをしながらツーラック大学にて西洋哲学を学ばれ、1989年にはシドニーに移住、ラマダ・ルネッサンス・ホテル等の営業で生計をたてながら写真を撮り始められました。

★1992年オーストラリアの有力紙、「シドニー・モーニング・ヘラルド」と英字新聞の東京支局リサーチャーとして日本に一時帰国。通訳、報道写真を担当、「阪神・淡路島大震災」、「東京地下鉄サリン事件」等手がけられ、96年から、シドニーでフリーランスの写真家兼ジャーナリストとして活動。主にビジネス誌のポートレートやシドニー五輪などの写真を撮影する傍ら、自らのライフワークとして社会問題を取り上げ、オーストラリアの各地を旅しながらアボリジニの写真を撮り続けていらっしゃいます。

★ 2000年、オーストラリア国連協会の「メディア平和賞」多文化問題特別部門でコメンデーション受賞、BroomNAIDOC非先住民和解賞受賞の作品である、「The Heart of the Journey」は「アボリジニとして育った女性が、ある日、自分の父親が日本人と知らされる。自分の生みの親に会いたいと訴えられたマユさんは、彼女と共にその父親探しの旅をする」南オーストラリアの美しい海岸から、和歌山県で彼女の父親に会うまでの旅をし、美しい映像(スライド)とナレーション、音楽でつづる、‘メデア・パホーマンス!!’

★ 現在は‘Chika’制作に当たり、Australia Council of Art (日本でいう文化庁に当たる政府の機関)より高い評価を頂き、助成金を受けていらっしゃいます。この‘Chika’とは1992年に起こった「メルボルン事件」と呼ばれる日本人5人組によるヘロイン密輸事件の実行犯として冤罪でありながら、10年間メルボルンの刑務所で服役した<本多千香さん>。その本田千香さんのオーストラリア入国から、仮出所で日本に強制送還される(2001年11月)までの彼女の生き様、心模様をマユさんが写真、音楽、ナレーションを組み合わせたアート・ドキュメンタリー作品です。(彼女の無実を訴えたり証明したりするものでなく、政治的な意味合いはないとのことです。)

★ 先日、その制作にあたり完成までには、まだまだ資金が不足している為にマユさんからファンド・レイジングの話があり、私たちの友人の協力を得て<Fund Raising for Chika>を開催しました。友人宅をお借りし、募金によって制作が大きく支えられる‘Chika’のプレビュー、そして彼女の作品性をより一層皆さんにご理解いただけるように彼女の他の作品が上映されました。

ボランティア・スタッフの協力により<すばらしい会>が催しされ、約25名の参加者による募金も予想をはるかに越える額が集まり、マユさんはじめスタッフ一同、大変うれしいことでした。

この作品は2004年4月ごろ完成、その後、オーストラリア各地のフェスティバルで上映され、一般の方々に見ていただく予定をされています。

金森 マユさんのホーム・ページは http://www.mayu.com.au です。

 

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