■イアン・マッカーサー氏(Ian D.McArthur)の経歴
1950年 |
ゴールドコースト生まれ。 |
1968~71年 |
クイーンズランド大学で日本語と現代日本文学を学ぶ
文学士号取得。 |
1972年 |
日本の文部省の奨学金を得て慶応大学の国際センターに留学。 |
1974年 |
オーストラリアに戻り、クイーンズランド大学Diploma of Education(教員免許)取得。 |
1975年 |
難民(当時はベトナムからポート・ピープルが多く渡ってきて、
国民も政府も広い心で受け入れた)に英語を教えた後、ジャーナリストとなる。 |
1980年 |
クイーンズランド州の新聞クーリア・メール、デイリー・ヨミウリ、メルボルンのヘラルド・アンド・ウィークリー・タイムズ社の東京特派員を経て、共同通信社東京本部の国際局海外部勤務。 |
2000年 |
シドニーの豪州情報通信社に勤務後、 |
2002年 |
シドニー大学にて「日本学の博士号」を取得。
同大学も含め、シドニーの大学で、日本語と日本の歴史を講義。 |
2003年~2009年 |
在豪日本大使館のメディア顧問を務める。 |
2008年7月〜2009年12月 |
シドニー大学の国際局にも勤務。 |
2009年3月 |
「井上靖賞」を受賞 |
2010年 |
「Cumberland Newspapers」に勤務 現在に至る。
日本には通算14年間滞在。 |
7月の冬の午後、北向きのオープン・テラスから冷気を含んだ新鮮な空気と、暖かく心地よい陽射しがいっぱい差し込むリビング「朝子の部屋」で、イアン・マッカーサーさんとのインタビュービューが始まりました。
(7月、南半球のオーストラリアは冬。北は日本の「南」になりますね。)
■クィーンズランド大学で「日本語と現代日本文学」を学ぶ。
小学生の頃、台所のラジオから流れる「短波放送」で中国等アジア言語を興味深く聴かれたそうです。ヨーロッパの言語はなかなか聞き取れなく、アジアの言語は、はっきりと聴こえた「短波放送」。オーストラリアからは「アジアが近い!」を実感された。
大学での語学の専攻は1960年代〜70年代中国の「文化革命が起こった時」だけにスパイと間違えられたらいけないので「日本語」を選ぶことになる。
イアンさんが住んでいたクイーンズランド州(QLD)と我が国との関係は、豪州の中でも歴史的に最も古く、1957年には日豪通商協定を結び、さかんに貿易が行われるようになった。特に、当時オーストラリアで発見されたボーキサイトや鉄鉱石、石炭、マンガンなどは、どんどん日本に輸出されて日本の経済が高度成長をした時期、イアンさんは、新聞で大きく掲載される日本との貿易の発展の様子をみて「日本と関係のある仕事がしたい」と強く心に思われたとか。
又、日本から「青年の船」で若者がQLDに来豪した折、イアンさんは通訳をされ、同世代の学生達とも違和感なく話が出来、お土産の風鈴や扇子等戴き、はじめて見聞きする「日本の文化」は、イアンさんの性格に合うと感じられたそうです。
■快楽亭ブラックとの出会い
産経新聞系列のインタビューでもお話されていますが、1980年の後半、新聞社の特派員として東京に滞在していた時、大学時代の恩師が論文を掲載している「モニュメンタ・ニポニカ」という日本研究学術誌の中で、明治時代の落語家、快楽亭ブラックさんの写真を見つけられた。彼はとてもユニークで外国人でありながら着物姿。落語家で茶道や俳句もたしなみ、帰化して日本人になっています。調べてみると、快楽亭ブラックさん(本名ヘンリー・ブラック)とイアンさんにはいくつかの共通点があり、同じオーストラリア生まれで、ジャーナリストの父を持ち、先祖はスコットランド人。この偶然に驚き、彼について調べたりして1992年には「快楽亭ブラック」の本を刊行されました。
「ヘンリー・ブラック」との出会いは、イアンさんのその後の人生の“ライフ・ワーク” のきっかけになったそうです。「明治の日本人に貢献した」快楽亭ブラック。「本」を読むにつけ作者のイアンさんと共に、私達読者も一緒にその時代に引き込まれていき魅了します。
出版後、落語家の友人を通じて本を舞台化したいという話をもらい、主人公の快楽亭ブラックさんを演じられた。舞台では「親子酒」の噺を1か月間かけて覚えられたそうです。
■「井上靖賞」の受賞のテーマ
2009年3月には、オーストラリアにおける日本文学研究に貢献した研究者に贈られる「井上靖賞」を受賞された。受賞論文は「落語と明治時代の法律改正論議」は、明治・大正期に活躍したオーストラリア出身の落語家・快楽亭ブラックが作品の中で欧州の訴訟手続きを紹介したことで、明治時代の法律改正論議に一石を投じたという史実をもとに、落語家がいかに日本の法律改正に貢献したかを論じられています。
現在、新刊予定の2冊の本は
「快楽亭ブラックの伝記」 「快楽亭ブラックのフィクション」
■ 今後の日本文学の研究について
「ブラックが好きだったイギリスの推理作家、メアリー・ブラドンの小説を調べています。彼女の小説は明治期、高知の「土陽新聞」に掲載され、歌舞伎の題材にもなりました。当時の落語や翻案物は海外の小説を日本に広める大きな役割を果たしたと思います。ブラドンの小説が日本語に翻訳、紹介されたとき、何が受け入れられ、何が削られたのかさらに研究していきたいです。」
■日本での生活は通算14年間の感想
日本の文化(気配り 謙遜)はイアンさんの性格にとても合っていたとか。
温泉が好きで北海道と特に沖縄が良い。食べ物、文化が気に入ったそうです。オーストラリアから沖縄・那覇への直行便が出来るのを心待ちにされています。
■「英語で挑戦」(不思議日本語)を拝読して (1985年出版)
日本語の比喩や習慣に大変詳しいのにはビックリします。
好奇心旺盛なイアンさん、日本語には、日本の文化、宗教、歴史、そして動物まで知らないと理解できないことがたくさんあることに気づかれる。
読者はイアンさんと一緒に、この“発見の旅”にでかけて、
「目からうろこが落ちる 地獄耳 舌を巻く のどから手が出る 面食い
ネコの額ほど 蛇足 月とすっぽん 野次馬 下駄を預ける 鬼に金棒」等
日本語の中に潜んでいる複雑さを見つけることが出来るでしょう!
「豪日コネクションズ」を拝読して (2005年出版)
イアンさんが「はしがき」にも書かれているように、愛知万博でのオーストラリア・パビリオンやさまざまの催しはオーストラリアと日本との間にある素晴らしい関係を象徴しており、その記念として出版されました。
両国と「人と人とのつながり」の芸術、文化、政治、ビジネス、教育、科学、技術等大変興味深い内容です。
■「イアン流 語学取得方法」を具体的に教えてください。
(下記「文章」は、イアンさんからの日本語のMailです)
好奇心があれば、「今聞いた表現はどういう意味か、どのような由来なのか」と自分に問い、早速表現を書いておいて、家に戻ったら、辞書で引く。それだけではなく、新しい表現を身に付ける表現の文化的背景を調べるのもコツです。たとえば、日本語なら、仏教、風物関連の表現が多いです。英語なら、シェークスピア劇、聖書などから来て、日常的に使われている表現が多いのです」
触角を出して、毎日一つの表現でもいいけれど、書いて置いてください。それを調べて、身につけること。一日で全部覚えられないかもしれない蓄積が大事です。そうすれば、いつの間にか、「覚えた」と気がつく。そして、自分なりの目標を持つことも大事だと思います。「今日は一つ新しい表現を身につける」というような目標ですね。身につけるためのもう一つの方法はやはり使ってみることです。新しい表現を使ってみると、「やった!」という気分になる。
何事も好奇心を持ち!努力をして!はじめて夢が実現して、目標が達成するのですね!「顔晴」りましょう!(^o^)/ 継続は力なり!
■現在の日本の若者へのアドバイス
「好奇心のかたまりになって、海外に出てください。外国に行けば、違う価値観をもつ人たちに出会えるので、視野が広くなる。他人との出会いは自分の人生を豊かにしてくれると思います」
■10年ぶりに「偶然再会した友人」のご縁で結婚された、日本人の奥様の「南 まりさん」は、1960年 東京生れ。東京外国語大学中国語卒業後、チェース・マンハッタン銀行の東京支店とニューヨーク本店に勤務。
1995年からCICカナダ国際大学に勤務。1997年に家族でオーストラリア・シドニーに移住。シドニー大学で教育学修士号取得後、小学校とハイスクールで日本語とフランス語を教え、移民の学生には第2外国語としての英語を教えていらっしゃいます。 現在、図書館司書と日本語教師としてハイスクールで勤務されています。
テニス、水泳 ブッシュ・ウオーキング 読書 映画鑑賞が趣味のイアンさん。
最近は奥様のまりさんとお二人で「ピラティス」を始められたとか!効果的に精神と肉体を強化することのできる革新的なピラティスで、いつまでもその好奇心と若さを保って頂きたいと思います。
4ヶ月ぶりにお目にかかったイアン・マッカーサーさん。
さすが!「日本語能力試験1級」の資格取得者です。日本語で流暢に話されご本人が『日本は私の性格に合う』と言われているだけに、お話していても自然と心が通じる礼儀正しい“好奇心旺盛な努力型”の「日本人」イアン・マッカーサーさんでした。
着物姿で落語を披露されるイアン・マッカーサーさん
★明治・大正期に活躍した「落語家・快楽亭ブラック」とは、
今も残る名作落語「試し酒」を創業
「オリバー・トゥイスト」など小説を翻案紹介
日本最初の円盤レコードを製作
歌舞伎の幡隋院長兵衛役で大人気
指紋を使った日本最初の探偵小説を創作― など、明治、大正期の日本に多彩な足跡を残した。オーストラリア生まれのイギリス人。日本に渡り、日本国籍を取得して、日本に帰化した。 <<
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