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「南極大陸」で迎えた感動の2005年の幕開け!(2004年12月26日〜2005年1月11日)

 
 

U 南極旅行・船旅偏

12月26日、シドニー発のアルゼンチン航空の機内で一人のオージーが声を掛けて来た。「ボクも南極に行くのですよ!」どうやら私がパンフレットを見ていたのをご覧になったらしい。船は違ったが偶然同じ30日出航の南極クルージング!

同じ日に南極へ出発するという、その声を掛けてこられた「学校の先生」は、その後ウシュアイアの空港や乗船時でも何度か会い、会話をしていると不安は消えていった。彼はクルージングの後、“イグアスの滝”へとさらに旅行を続ける予定で、約1ヶ月の休暇をとられたとか!

シドニー発ブエノスアイレスはAirで16時間35分(オークランド経由。帰りはなぜか19時間01分!)南米「ブエノスアイレス」での3泊は、連絡頂いた知人の方と一緒に、有名な「LA ESTANCIA」のサラード・レストラン(牛肉ステーキ)に案内して頂いたり、クリントン大統領も行ったという「セニョール・タンゴ」♪も案内して頂きました。「南極」までの途中、ティグレ・ツアーの運河クルーズも愉しみ真夏の南米・ブエノスアイレスでリラックス(^^♪、街中タンゴ♪の曲が流れ、さすがアルゼンチン・タンゴの発祥地です。

ブエノスアイレスからウシュアイアは、さらにAirで4時間49分の空の旅。12月29日、北をマゼラン海峡、東を大西洋に囲まれたフェゴ島(火の国)「ウシュアイア」に到着。世界最南端のこの港町は、南極クルーズの発着地として世界中から多くの観光客が訪れます。ハイジの世界♪のような小高い丘のホテルに一泊。いよいよ南極!と思うと緊張する。

抜けるような青空の30日の朝、ウシュアイアのAir気温は10度。早速、オーダーしていた防寒着上下と長靴を借りにタクシーで行くと、エ〜!!お店がない〜?? タクシーの運転手に一旦ホテルに戻ってもらい、ホテルから再度連絡を取ってもらうと住所が変わったとの事。やれやれ。。。。。。

PM4時に乗船までには未だ3時間ほど時間がある。世界中から集まった観光客が賑やかな街並みのお土産店を物見している。私達も南極の絵葉書を買い、昼食のイタリアン・レストランで先ずは無事の航海を祈り娘と2人で乾杯!!

いよいよ、出航の時間が近づく・・・午後3時、ホテルに迎えのバスが来て、
「南極クルージング」の乗船客を乗せウシュアイアの港へ。

バスの中でオーストラリアの「ニューキャッスル」から来たというご夫婦と一緒になった。シドニーから車で3時間の所だ、同郷の想いで親しみを感じほっとした。

すでに私達が乗る「アカデミック・ショカルスキー号」は、準備を整え港に待機している。「頼むわよ、無事このウシュアイアの港に戻ってくるのよ」、思わず心の中で祈る私。全長69、7メートル、1753トンのこのロシア船は6隻ほど止まっている船の中で一番小さい。大丈夫かな〜 また少し不安がよぎる。

先ずは乗船、各部屋に案内され荷物が運ばれ、救命胴衣装着、、緊急時の避難訓練等終えると、12月30日、午後6時過ぎ、ショカルスキー号はボ〜!!と大きな長い汽笛と共に黄昏のウシュアイアの港を後にした。1000キロ先の南極を目指して!!

PM8時30分のディナーまでの間、船の中を一通り見学する。未だ波も穏やかである。このロシア船は学術調査を目的に建造された耐氷船。レクチャー・ルームや気象調査の設備、船にはゾディアック(約10名乗りのモーター付きゴム・ボート)が4隻、避難用の潜水艦も2隻搭載されていた。

パスポートを預け、ビザ・カードの申請手続きを済ませた。(船の中での飲み物等は希望すれば、自動的にクレジットで落とされる)その後、キャプテンや9名のスタッフの紹介があり、このメンバーで「南極」へ行くんだ!そう思うと、先ほどの不安は何処かに飛んでいった。リーダーのカナダ人Shane、地質学者のEric、鳥・動物学者のBrandon、ドクターのBretは奥さんを連れてきている。我々乗客メンバーも国際色豊かで、なかなか良い雰囲気だ(^^♪

食事は2つのルームに分かれていて自由席。2人のロシア人による料理は前菜から始まってデザートまでなかなか美味しい!初めてのディナーでの会話は、どこの国から来たか?ウシュアイアまではどのルートで?仕事は何をしているか?南極を選んだ理由は?等、お互いの国の事など直ぐ打ち解けて、愉しく会話も進む。。。。。。

ひとり参加の女性が目立った。50代のアメリカ人のロイヤー、40代のブエノスアイレスの大使館に勤めるフランス人、30代のブラジルのサンパウロからは愉しいキャラクターのシルビア他。後はスエーデンからきた親子3人、「北極へ行った」というケープタウンからのご夫妻、ノールウエーで木材会社を経営のご夫妻、アメリカ、メキシコ等18カ国からのメンバー41名。

PM10時アナウンスが流れる。。。。「PM12時過ぎから“ドレーク海峡”に入ります。。。。酔い止め薬はその1時間前に飲むように。。。。」とのこと。

いよいよ魔のドレーク海峡! シャワーを済ませ、11時に酔い止め薬を飲み、机の上も片付け、大きく揺れても大丈夫なように体勢を整えベットにつく。

来た!12時過ぎから揺れだした。。。。娘がデジカメで、部屋の窓から揺れるたびに空〜海〜空〜海〜と見える様子をデジカメの動画に撮っている。

薬が効いたのか、吐き気もしないし、なんてことはないと思い安心して寝た。
帰りのドレーク海峡で約2日間も食べられなくなる羽目になるとはつゆ知らず。
                                 
12月31日 朝食後はカメラ持参で早速甲板にでてみた。青い海、青い空のみ。「ショカルスキー号」が南極に向けてひた走る。。。。。ワクワク ドキドキ♪
船の一日は結構忙しい。南極上陸の為の予備知識の講義も毎日ある。AM11時からは地質学者のEricのレクチャーだ。昼食後、バーでは本を読んでる人、パソコンで写真を取り入れている人、話に花を咲かせている人、デッキではひたすら海を眺めている人、もう直ぐ目前に現れる「南極大陸」に想いを馳せて♪ 

PM4:30 鳥・動物学者のBrandonのレクチャー。映像を見ながら南極の鳥・クジラの生態の調査をもとにしたレポートを聴く。

PM10:30〜New Year's Eve Party が始まる。“南太平洋クルージング”と違ってさすが南極探検団!ラフな格好で音楽に合わせ皆で踊る。が、「南極大陸上陸」を控えているのか、いつもと違う気分。ついにカウント・ダウンが始まった!!!スリー、ツゥ、ワン!2005年の幕開け!!乾杯〜!

アバの音楽に合わせて皆でダンス♪しばらくして、ニューキャッスルから来たご夫妻と一緒にダンスをしているという階下のダイニング・ルームに降りてみた。ロシア人クルーの仲間が集まって賑やかなこと!「日本の北海道や新潟に行った事がある。コンニチワ!」とクルーの一人が云った。乗りに乗ってAM2時まで!ロシア人クルーの方があんなに、明るくはしゃぐとは知らなかった〜それにしてもキッチンで働く21歳の可愛いロシア人Irinaの笑いをこらえた少しはにかむ表情は so,キュート!!とても印象的でした。

2005年1月1日 New Year brunchの後はAM11:30からMR Brandonのレクチャー「ペンギンと鳥」。昼食後、友人に送る絵葉書を書きながら、ふと窓を見ると海がたくさんの鳥でいっぱい!実態はなにぞや!と急いで防寒着をはおりカメラを持って甲板にでた。20mもあるだろうか、死んだミンククジラにたくさんの鳥がたかって餌にしていた。南極鳥代表のナンキョクオオトウゾクカモメとアルパトロス(和名はアホウドリ)の一群。

PM2:00ゾディアック(Zodiac)というモーターつきゴムボートの乗り方、上陸時の決まりごとなどのレクチャー。船の横につけるGangwayという階段を降り乗り込むらしい。そのゴムボートの縁は空気が入った直径70センチほどの丸いチューブになっていて、そこに座り後ろに沿っている細い紐に捕まるだけのもの。落ちたらそこは南極の海。恐ろしい、大丈夫かな〜

PM4:00 “初めての氷山”に感動!!まるで氷の彫刻だ!  
最初のアイスバーグを見たのは乗船2日後だった。ビーグル水道を抜け、太平洋と大西洋を結ぶ“魔のドレーク海峡”を超え。。。。。「南極」までの道のりは遠かった。

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