リタイア後の55歳からあこがれの「海外ひとり暮らし」を強い意志と実行力で実現した永田朝子のホームページ
 
 
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同建物1Fの倶楽部・海外ぐらしのサロンでは今回お世話になるアドバイザーの河合 聡一郎さんとタイ人の奥様・ジジさんご夫妻が待っていて下さいました。チェンマイ在住14年の河合さんには、明日の「横田順子氏チェンマイ総領事」のインタビューのアポも取って頂いております。


河合 聡一郎氏と奥様のジジさん
 
河合 聡一郎氏(77歳)は、1986年〜1994年 慶応義塾ボクシング三田会の会長、三田体育会理事を務められ、小学校も幼稚舎のいわゆる「慶応ボーイ」。アメリカの映画会社ワーナーブラザーズ、日本ユニバーサル映画日本総支配人を歴任。「エデンの東」、「老人と海」「ジャイアンツ」と代表作を次々に売り出し、ハリウッドもずいぶん出かけられたそうです。リタイア後は1993年から“チェンマイ暮らし”をスタート。日本人の支援団体「チェンマイ・ロングステイライフの会(CLLクラブ)」を設立し、2002年9月〜2004年12月まで会長に就任。「良いコースが近くて、安いので、ここに決めました」とのことだけあって、ご夫婦揃ってゴルフはシングルの腕前!!!

8月7日 今日は河合さんのご案内で在チェンマイ総領事・横田 順子氏のインタビューにAirport Business Parkの「日本国総領事館」を訪ねました。約束の10時に案内して頂いたお部屋で「マイケオ」という黄色のタイ・シルクの装いで迎えてくださった横田 順子総領事。


「横田順子」チェンマイ日本国総領事と。
 

河合氏と横田総領事

横田順子総領事の執務室
 

日本国総領事館のあるビル

今年4月7日に着任された横田総領事は1973年から2年間外務省からの派遣で、チェンマイ・チェラロンコン大学でタイ語を学ばれ、その後バンコクの日本大使館に勤務された経験があり今回は3度目のタイ王国勤務との事でした。

チェンマイは日本とタイの歴史においても、かなり以前から交流があり、特に1980年代以降は、チェンマイへの日系企業の進出も盛んになり日本政府は1980年7月に駐在官事務所をチェンマイ市内に開設。その後も在留邦人の増加に伴い、また、進出日系企業数も増加したために(現在54社)2004年1月に、新たに在チェンマイ日本国総領事館として開設されることになったということでした。

今年は日タイ両国に於いて「日タイ修好120周年記念」と称して、各種の記念行事を計画されており、タイの各地にて日本紹介事業の実施や、日本からの使節の派遣や展示等による様々な文化行事を実施することを計画されているようです。また従来からの在留邦人の皆さんへのサポートも力を入れたいとの事でした。

シドニー出発前に「チェンマイの横田総領事とのアポが取れました」との連絡を頂き、インターネット上に掲載されている「横田総領事」のフォト・ギャラリーをプリント・アウトして持参させて頂きました。お陰さまで横田総領事にとても喜んで頂き、その<写真の資料>を見ながら"チェンマイ発信"の説明をして頂くことが出来ました。

"女性の総領事"ということでお話をお伺いしますと 今年の4月までアメリカ、中国&日本と各3カ国の総領事はすべて「タイ語が話せる女性総領事」だったそうです。(アメリカの「女性総領事」は現在帰国)世界の女性の活躍に拍手!!「着任して間もないということですが、タイ人の人柄の感想は?」と、お聞きしますと下記三つのことをあげられました。

@「笑顔」→ ホスピタリテイ精神がある。
A「休日」→ 信仰心が強く「思いやり」や「やさしさ」があり、友人・知人の冠婚葬祭で会社をよく休むということだそうです。
B「水との繋がり」→ ナーム(水)・ジャイ(心)
ナーム・ジャイは「思いやり」の意味。先ずは冷たいお水を一杯と来客をもてなす暑い国ならではの言葉。日本語では「情」と書きますから同じアジアならではの共通する感覚かも知れませんね〜水と繋がりのある人々の暮しから<豊かな文化>の様子が伺えました。

河合さん、ありがとうございました。お陰さまで「チェンマイ総領事」との、インタビューが無事終えることが出来ました。少し緊張した"愉しいひと時"でした♪

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